キルトに綴る小さな愛のかけらたち

「わたし」の心身たましいを通した気づきのピース・しなやかに生きるためのアイディアと洞察

《仮メモ》腑に落ちる瞬間は、忘れたころにやってくる

わたしの頭の中は常時「ことば」が動いている。

いつも、自分の、誰かの、影響を受けながら(引きずられるのとは違う)気づきや発見が起こったりして騒々しい(笑)。

たとえば、普段は忘れているけれど、ずっと内側でモヤモヤとしてたことについて、何かの瞬間に腑に落ちるようなヒラメキが起きるなどあれば、頭どころか身体中がうごめきだして、さぁたいへん!

“わたし”の中身が「ヒラメキ」の粒たちで溢れて支配されて形をなさなくなるので、こうやって方々にまき散らすハメになるのだ。

 

 

《今日の腑に落ちてきたことメモ》

 

『癒し』『癒される』という言葉が乱用され始めて久しいが、このところますます酷くなっている気がする(今さらともいう)。

 

それが“癒し系”に絡む活動や事業をしている人なら、作為的でどうしようもない。

一方で、「一般」の人たちも乱用し始めているのがどうにもこうにも。

 

 

ふとあるブログを読んでいて「セラピスト」を「癒しを与える人」という意味合いで使っている文章に目が留まった。

 

「癒し」を「与える」???

 

わたしの認識では、「癒し」は自分の中で起こっていくもので、つかんでいくものだ。

すなわち、“癒し系”のフィールドにいるような人たち(一般には対人援助職といわれたり、最近では“スピ系”族も?)から

「与えてもらうもの」ではない。

 

自分の奥にある「痛み」や「悲しみ」「憎しみ」などなどの、主に“ネガティブ”と言われるような、多くから疎外されたり放置されてしまいそうな「感情」たちと対峙し、その先……つまり乗り越えたところにあるのが「癒し」だ。

 

その「癒し」へ繋がる過程で「治癒を援助する」のが「セラピスト」の仕事だ。

決して「セラピスト」が与えるものではない

 

50歩ゆずって「セラピストが与える」のだとすれば、環境だったり、抱えきれないものを抱えられるようにヒントやツール・ワザを提供することくらいだ。

あとは、ご本人さまが自分で取り組まないことには根本からの「問題解決」や「治癒」などあり得ない。

 

 

それが、どこでどう転がって“今の感じ”、つまり「癒しを与える」「癒される」になっちゃったのか、もう本当に何年も何年も考えたり考えなかったりしてグルグルしてきたが、一向に「答え」が出てこなかった。

つまり、モヤモヤとしたまま聞き流し見逃してきた。

 

それでも、一端であれ一応プロの援助職をやってるわたしとしては、このまま放置しておけない気持ちも消えなかった。

「放置しておけない理由」も実はしっかりあるのだが、それについて話すと文脈が飛ぶうえ長くなってしまうので、またの機会にする。

 

で。

ついに今日! その“あるブログ”を眺め読みしてて気がついた。

 

多くの人は「癒し」という言葉を「慰め」や「労い」と同等・同様に使っているのだ!(と理解した!)

 

たとえば、何かこころ温まるフレーズを目にして読んだ時、

「癒されたぁああ〜〜♪ ふぁ〜(* ´ θ` *)」

などと口に出すことはないだろうか。

 

これって、つぶさに観察するに、

「和んだ」とか「安らいだ」という意味で使っているのではないかと思うのだが、

そうであれば、本来の「癒し」という言葉の意味と体験が、厳密には合っていない。

なんとなく『「癒し」的な感じ』がするから用いているだけ、とも考えられないだろうか。

 

同様に。

「癒しを与える」というフレーズも、『自分が誰かに与えている』という文脈ならば、本来の「癒し」の意味と繋がらなくなる。

 

となると、多くが「癒される」とか「癒しを与える」と言っている場合、
なにか他の意味を被せて使っているとしか思えない

 

では、一体どんな意味を被せて使っているのか……
という視点で頭をフル回転させていた折に

先のブログを見つけて読んでいて、ついにヒラメキが降りてきたのだった☆

 

「慰め」「労い」だ。

 

これなら文脈がつながる。

 

 『慰めを与える(慰める)』

 『労いを与える(労う)』

 

「慰め」や「労い(ねぎらい)」という言葉より
「癒し」の方が、
なんとなく“より効きそう”なイメージがあるのでしょうか。

 

だから「内容は『慰め』や『労い』であっても、言葉として『癒し』を使う」。
これなら、合点がいく。

(コレあくまで仮説ですからね〜)

 

合点する可能性が高いとすれば。

もう明らかに、その仕事(「慰め」「労い」)は「セラピスト」の仕事ではない(笑)。

『癒し』のプロセスで「慰め」や「労い」はありえるが、結果が「慰め」や「労い」で終わるのではあれば、、それは治癒にはほど遠い

 

とはいえ、セラピーを受ける側が「自分は治癒した」「問題解決した」というのであれば、それは(セラピストの自覚の有無を越えて)効用があったと言える。というこもあることを補足しておきます。

 

ともあれ。

 

もはや市場は10兆円を越えてきてるとも言われてきている
“癒し系”に絡んでいる皆さま!

 

言葉は大切に扱おうぜ!

 

 

《仮まとめ》
もわもわ抽象度の高い世界だからなおさら「言語化」するときは丁寧に扱え!

 

ひとまずここまで。

  

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>> なぜ食べかけの図?!

 

(200213)