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【その②↓↓の続きです】
※以下2003年の記録。原文ままです。
◎当時のわたしは、接続語などの多用や、一文もムダに長いものが多く、ヤヤコシいところが多数あります。若干「改行」のみ追加してますが、読みにくさが残る部分はご了承ください(要は勢いだけで書いていた・笑)。
◎お読みになっているときに気分が揺さぶれるなどありましたら、ご自身のコンディションを優先し「読むことを中断する」選択もあることを書き添えておきます。
Illustraion by cao, 2003
3.「犠牲者」ラベルからの脱却 ─ダメージの中から自尊心を取り戻す
私は、人が一番最初に向き合う“社会”としての家庭で、ほぼ軟禁状態のうえに私の存在(情緒や思考、そして人格)に関心を持たれないまま育ってきました。
それはまるで、強制収容所とも言えるべく家庭内でストレスにさらされ続けながら放置されてきた。と言えるものでもあります。
歳を重ねるにつれ、“現実”では進学や就職、家族以外の他者との関わり等々をきっかけに、当然のように“社会”は広がってきましたが、そこでも私は、“最初の社会”で『学習』した人間関係のあり方を引き継いできてしまいした。
私はそれらに対して疑う余地もなく、度重なるストレスやダメージに対処する方法を学べないまま、ダメージの層を塗り重ねてきてしまっていたのです。
挙げ句に私は、無意識的な逃避行動としていろんな形の嗜癖を伴ったり、妄想の中で別の世界を作ってみたり、また恐れ・不安などからいろんなものを切り捨てたり、「なかったもの」としてこころの奥底に閉じ込めてきました。
しかし、そのプロセスを注意深く振り返ると、私にはダメージから“逃れようとする”力があり、恐れを感じるというそのものも失っておらず、そのことでなんとか世の中を生き延びることができたように思いました。
脱走、封印、そして嗜癖や解離という病理や言動は、私自身はもちろん他者をも傷つけ苦しみましたが、自らの「死」を選ばず、何とか生きていきたいというエネルギーが生み出した、苦肉の策という“アイディア”だったのかもしれません。
ここで私は、1つの出来事を思い出しました。
数年前、私は、ある用事に重ねて実家に帰省したことがあります。
“そこ”は、18歳まで私がいた環境とは状況が変化していました。
1つは、既に「実家」が育った家とは違っていたこと(母がその数年前に新しく建てた家だった)。
もう1つは、しばらく施設で暮らしていたアルツハイマーの祖母が引き取られて「家族」として存在していたことです。
ただでさえ波打つ両親の関係に祖母が一員として増え、そこに私は帰省したのでした。
<以下工事中>
《 参考・引用文献 》
注*1) S・J・ウォーリン/S・ウォーリン/訳: 奥野 光・小森 康永
『サバイバーと心の回復力 逆境を乗り越えるための七つのリジリアンス』 金剛出版
ボリスシリュルニック/ 訳:柴田都志子『壊れない子どもの育て方』 KKベストセラーズ
(2003, 2018 記)